振内劇場

振中ミニ同窓会 in 仁世宇園

振内中学校第15回卒業生ミニ同窓会が仁世宇園で行われた過程とその模様、それに「振内に思いを馳せてPartⅡ」的なものを含めて、備忘録風にまとめて見たが、何しろ長文なので適当に飛ばして読むといいでしょう。
画像の見方:画像にマウスを当てた時、リンク印が出ればクリックすると大きな画像がウィンドウ一杯に表示されます。そのとき、その大きな画像が連続して見られるのと1枚だけの2種類あり、それは私の判断で制御しています。
昭和29年6月現在の振内・仁世宇市街図は「川端理美容院を訪問」にあります。
スマホ(除Safari)で見ているとき、メニューの「PCレイアウト」をクリックすると、PCと同じレイアウトで閲覧できます。また、スマホに戻るときは「スマホレイアウト」をクリック。

「郷土史ふれない」の映像部門担当者からのメール

事の発端は「振内に思いを馳せて」を見た「郷土史ふれない」の映像部門担当者から、2017年1月18日、貸別荘「すずめのおやど」経由でメールが来たことから始まる。内容は私がアップした画像の中に色々と振内中学校に関係した珍しい写真があり、それらを振内中学校の記録映像に残しておきたいが可能か。もし、可能ならばその画像に当時の先生の名前などを記入して送付して欲しい、と言うものだった。そして、そこからメールでのやり取りが始まった。

第二弾は「仁世宇園」の佐々憲一君

3月29日、振内中学校時代の同級生佐々憲一君から電話が来た。彼の娘さんが、振内中学校の校歌を調べようと検索したら、私のページにヒットした。それを読んで行くと、どうも自分の家の事が書かれている、と言う事でそのページを印刷して父親に郵送した。そこから、彼の振内ネットワークを使って、私の妹に行き着いた。ここまで来ると点が線になった。
そこから始めたのは先生や同級生の電話番号調べ。男性でも女性でも、最低限住所が分かるとネットで分かる事がある。1人が分かると、そこから芋ずる式に辿って行くこともできる。そんなんで、4月はトータルで3人の先生と6人の同級生と電話で話す事が出来たが、中には間に合わず亡くなったばかりの人もいた。
いぶり ひだか人ー佐々憲一さん ヤマメの養殖40年(NHK室蘭2011年度秋放送)
●「仁世宇園」の事は札幌中央図書館にあった「郷土史ふれない」を読むと良く分かったので、参考のため全文を引用して掲載した。

振内郷土史の「仁世宇園」を表示/非表示

仁世宇園で振中ミニ同窓会


夢は正夢

夢は正夢こんな事があるかも知れない、と思いあのページを書いたが現実のものとなった。栗山監督ではないが、「夢は正夢」となったのである。 クラス会はここ札幌でも行われていたが、行方不明者リストに載っている私に案内書が来ることはなかった。
2017年6月10日(土)雨の中、振内から日高方面に車を走らせると、「仁世宇園」の幟がたくさん立っていたので直ぐに分かった。あとは案内板に従って行けば「仁世宇園」に難なく着いた。 上の写真をよく見ると、全部の幟で字が裏返しになっているのが気になる。 Googleのストリートビューを見ても同じだから、いつもこうなのじゃないか。となると、今の反対側に字を書いた方がいいようだ。幸いな事に「営業中」は裏返しになっても、そのまま読める。
「二世宇園」の案内板に従って行くと、いよいよ砂利道だ。そろそろ間近か。空は嵐になりそうな雲行きだ。昨年の「小樽ワインカーニバル」の事が、頭をよぎったが、対策済みだからいい。今度は合成皮革の靴だ。

ミニ同窓会始まる

本日の振内参加者は10名程度と聞いていた。実際は男性6名と女性5名の11名。私と同じA組は5名、B組も5名、残りの1名は小学校5年生まで在籍と言う人であった。私はこの方を全然覚えていなかったが、証拠として見せられた5年生のクラス写真に彼の顔もあった。
佐々君はネットに出ていた顔と大して変わっていないように見えたが、電話で話していた通り、髪の毛が益々後退したかも。 ここに集まった相手の顔を見て、直ぐに分かったのは11名中4名。あとは名簿からの予測。帰ってから、卒業写真と今回の写真を見比べると、皆どこかにその面影があり、合点した。
卒業写真への名入れは女生徒だけで済むはずだったが、男生徒も間違っていると言う。その原因は最終版でなかったからだ。佐々君がメールで間違いを指摘してくれたのを持って行けばこの為の時間を節約できた。
さぁ、ここからは山女魚料理の時間。その模様はこんな風だが、差し障りのない程度の写真を選んでみた。但し、参加者の同意を得ていないので、拡大写真はない このあと、ログハウスで、「郷土史ふれない」所蔵の懐かしい写真を大型テレビで見ながら、好き勝手にコメント。これで、当時の男子生徒は、何を思っていたかが大体分かった(後述)。この間、画像が思い通りに出ず、難儀したが、楽しいひとときを過ごした。そんな中、時計が3時を疾うに回ったので、記念撮影のあと散会となった。

ヤマメ料理と酒

料理の内容は先ずヤマメの刺身と塩焼き、おひたしはワラビか。そして、唐揚げ・南蛮漬けと続いた。キノコ汁はボリボリ?と言う周囲の声。ご飯では平取産ななつぼしが話題になっていた。
むかし、グリコのキャラメルで「1粒で2度おいしい」と言うキャッチコピーがあったが、山女魚の場合、刺身より丸ごと食べられる唐揚げの方が1口で3度美味しいと感じた。私の場合、魚介類では頭の部分が一番好きだ。特に毛ガニと鮭の頭の部分。鮭なんかはカマとして売っている。それにヤリイカもだが、そう言えば最近食べていない。 ●ヤマメ料理はどれも美味しかったがこの南蛮漬けなんかが印象に残った。
ヤマメ料理フルコースで、2,200円とは同窓生割引があってのことか。
余談だが、もし日本酒なら、大吟醸はもう飽きてきたので、清酒千代の松「純無濾過原酒」とか、米京都北山「純米吟醸原酒」と言った変わり種がいい(何れも、頂き物です)。
こんなのと、山女魚の塩焼きとか唐揚げだと、もうこれは最高になるはず。実際、こう言った酒を飲みながらヤマメを食べるにはどうしたらいいか。私が良く行くスズラン公園「アシリベツの滝」への途中に「釣堀フィッシング・タキノ」と言うのがあるので、ここでヤマメ釣りをして見るかな。どんなシステムになっているか、今度行ったら調査して来よう。
最終的に目指すのはこれだが、無理そう。 ※この写真の著作権は渓流釣りが趣味の野口治療院にあるが、いまは連絡取れず。

仁世宇園で記念撮影と思ったが

貸別荘「すずめのおやど」ではお客さんの集合写真を記念として、ブログに載せている。たくさんある中で、好きなのはこの写真リンク先はブログの画像)。これは良くあるピースサインだけのポーズでなく、それぞれが思い思いのポーズをして撮っている。老人会でそれが出来るか、と思ったが、もし出来たら面白い。ところが生憎の雨の中ではそれが叶わないので止めた。

川端理美容院を訪問

職員室の中で撮った写真で、職員として勤めていた女性の名前がずっと分からなかったが、当時の国語の先生(札幌市)に電話したとき、「くぼたちえこ」さんだと分かった。姓の方の漢字は分かったが、「ちえこ」の漢字名が分からない。これは無理と諦めかけていたとき、この人の妹さんが振内で、美容室をやっていることが妹の同級生から分かった。 調べて見ると振内には「モード美容室」と「川端理美容院」があった。「モード美容室」は昭和29年に北日本出版社が発行した「振内市街案内図」(「郷土史ふれない」所蔵)に「パーマネント モード美容室」とあったので、これだと思っていたが違った。「じゃんけんぽん」に行く前に訪ねて、その妹さんに聞いたら、「智恵子」だと分かった。

じゃんけんぽん

ここで食べるのは最初から決めていた。やはり人気NO.1の「びらとり和牛ハンバーグ&カットステーキセット 2,180円(税込)」である。ここで、平取和牛とやらを勉強して見よう。
【JAびらとりHPより引用】

びらとり和牛の特徴は、平取町の凍てつく冬の寒さを乗り越える事によって、肉の旨味が凝縮され、味の濃い牛肉になっているのが特徴です。平取町では、昭和37年に島根県から繁殖牛が導入され、その後「びらとり和牛」ブランドが誕生。現在では札幌市を中心に、幅広い方々に愛されるブランドになりました。

この店に入ったのは5時20分ごろ。味は私の評価だと普通。実はもう少し柔らかいのを想像していた。(上の写真は翌朝のもの) 最初に出たサラダを食べ終わり、肉を食べ始めたところで気がついた。「未だ、実物の写真を撮っていなかった!」と思い、慌てて撮った。二つを見比べると、内容が一致しない。これは仕様が変わったが、費用のかかるメニューまでには至らず、と言ったところか。
●実際の「びらとり和牛ハンバーグ&カットステーキセット」
●「じゃんけんぽん」のハンバーグ通販サイト

味処ほろしり

2級下の妹達は6時過ぎあたりから、この「味処ほろしり」で、「マイクロ同窓会」を行った。ただ、妹は父親の転勤により、卒業したのは振中でなく門別中学校である。参加人数は妹を含めて5人。私はここで、名前の入った第17回振内中学校卒業写真を渡した。次の訪問先である大橋商店には6時に電話して、予定を確認。本人は商品の配達中だが、6時半頃に帰宅すると言う奧さんの話。このあと、民宿「沙流川」に一旦戻り、7時に最終確認の電話を入れ、大橋商店に向かった。

大橋商店

ここはミニ同窓会のきっかけを作ってくれた人がいるところ。この人は公的な人でネットにも登場するから名前を出してもいいだろう。振内の人なら、恐らく誰でも知っている堀内敏明さんだ。堀内さんは私より5学年下だから、学校での接点はないが、お姉さんとは私の妹の方で、驚きの写真があった。それは走り幅跳び町内大会の表彰台で、一緒に写っていたのである。
この大橋商店の2階にはAV機器がラックにぎっしりと収められている。前方には58インチとか言うモニターがあり、プロジェクターも装備している。メールにはラックスの真空管・JBL・マイクロの糸吊プレーヤー等と書いてあったが、余りにも多すぎて、一つ一つ吟味が出来なかった。大型のJBLスピーカーシステムから出る低音は凄まじい。久しく聞いていない音である。 JBL S101彼は平成22年の「郷土史ふれない」、平成29年の「振内中学校の70周年記念」で映像部門を担当している。彼は昔から「ステレオサウンド」を購読しており、今回、その中の1冊を貸してくれた。ステレオのすべて帰って早速、読んで見るとJBL S101の広告があった。私のS101は記事や広告を見て買ったのではない。仙台で店頭品としてあったS101を聴いて、それを買ったのである。 横浜市緑区元石川時代の書棚に「ステレオサウンド」や「ステレオのすべて」と言う背表紙が古い写真の中にあった。翌日の8時半、今度は妹夫婦を携えて、再訪問し、コーヒーをご馳走になった。このとき、電話だけでなく奥様と、お話しできて良かった。そのとき、2階でのあの低音は? とお聞きしたら、良く聞こえる、と言うことだった。
メモ:堀内宅で一緒に聴いた「ギドン・クレーメルとウィンフィルのモーツァルト・バイオリン協奏曲」を自宅で、あらためて聴いてみたが、どうもヴァイオリンの音がいまいち心地よくない。装置が悪いのか、録音が悪いのか。今度、録音がいいと言われているのを探してみるかな。

泊まったのは民宿「沙流川」

3月中に予約したのが功を奏した。今は工事の作業員で満杯だし土日は泊めていないという。ここのマスターは電話の声からして私よりずっと年上だと思っていたが、実際は3歳下だった。 逆に私は実際より若く思われる。2000年当時、電話でアポイントを取って、ホームページの打ち合わせに行ったとき、もっと若い人が来ると思った、と言われた事がある。実際問題として、50代のオッサンが来るなんて、普通は誰も思わない。
朝食は併設のスナック「みちくさ」で食べた。 置いてあったお盆の中身は焼きガレイ、卵、味噌汁、塩辛、ご飯など。

振内市街を散歩

11日の朝は昨日とは打って変わって良い天気になった。朝食の7時半までは1時間以上もあるので、昨日の撮り直しを兼ねて、懐かしの振内市街を一回りすることにした。

リヤカー

振内小学校のリヤカー振内小学校の体育館や昔の教員住宅辺りを見た後、あの石炭小屋辺りはいかに、と思って行ってみたら、何とリヤカーが未だあった。
冬になるまえの行事と言えば、柴刈りと煙突掃除が思い出される。薪から石炭に変わったのはいつなのか、はっきりと覚えていない。


町道振内診療所線

町道振内診療所線振内診療所この標識はいつの頃からあるのか、と思うくらい古い。字は何とか「町道振内診療所線」と読める。その昔、歌笛小学校から、振内小学校の5年生として、転校して来たとき、この辺を通り、生徒玄関入口に向かった。今でも良く覚えているが、母親と妹の3人で雨の中、傘をさして、どことなく緊張の面持ちで歩いた。
ここから「池売橋」に抜ける道は良く通ったので、昔を思い出しながら歩いてみた。同級生がいた「東城商店」へは小学生の頃、よく遊びに行ったものだが、距離感が今とは違っていた。今だと、近いと感じる。今回は会えなかったが、次回の11月には昔のイメージとはほど遠いりスタイルで現れることだろう。

振小入学初日でのエピソード

その日に国語の授業があった。そこは既に歌笛小学校で学んでいた。だから山下先生が「こう言った形式の文を何文と言うか」と言う問いには咄嗟に手を挙げ「写生文」と答えた。歌笛小学校と同じ事を質問するなんて、これはどうやら文部省の学習指導要領に沿った授業だったのだと後で思った。それとこれは最近知ったことだが、妹の学級では「5年生にすごく、でかい奴が入って来たぞ!」と、大きな声で男子生徒が怒鳴っていたとか。

理容のタナカ

札幌全日空ホテルの「カフェレストラン パルテール」で、振中の同級生2名とランチバイキングを食べながら、卒業生写真への名入れを行っていたとき、ここへ立ち寄って見ろ、と言われた。場所はお寺(正願寺)の方へ曲がる道の手前にあると言う。それを頼りにGoogleのストリートビューで調べたら、「理容のタナカ」の看板があったので、位置の確認ができた。 最初、真っ先に立ち寄り写真を撮ったのだが、写りが良くなかったので、撮り直した。本人は多分、「二世宇園」に来るだろうと思い立ち寄らなかった。

正願寺

その正願寺であるが、ここはその昔、振内小学校で「坊さん先生」と呼ばれた人が住職であったはずだ。 その「しょうがんじ」は札幌市白石区菊水にも「照願寺」としてある。どうやら、この二つの「しょうがんじ」は系列寺らしい。 私の家ではこの二つの「しょうがんじ」にお経をあげて貰っている。つまり振内時代から、今日に至るまで、「しょうがんじ」と縁があると言う事である。もっと、具体的に言うと、毎年春になると、会費用の振替用紙が送られて来る。
両サイドの画像は私が中学1年生の時のものだが、私たち兄妹以外でも上の文を読めば何の時のものであるか想像がつくであろう。

蒸気機関車D51

SLはパスしようと思っていたが行って良かった。それはD51がお色直しをしていたからである。2年前はひどかった。とても静態保存しているとは思えない。あれではほったらかし、と感じていた。次の写真は気持ちよく晴れた翌朝のものである。 初日に撮った別な角度からのD51(2017/6/10曇り)
二風谷の沙流川歴史館「サハリンを走った蒸気機関車」
「振内鉄道記念館 野外展示のD51-23について」の表示/非表示

振内劇場跡は草茫々

あの思いで深い振内劇場はどこにあったのかを特定したかった。丁度、妹の同級生のお姉さんが振内劇場の前に住んでいると言う。これで、場所を特定出来ると思った。実際に会って話して見て、ここが振内劇場跡との確証を得た。 だが、この通り草茫々で蛇もでるので困っていた。これは行政に話して、所有者に草を刈って貰うのがいいと、話したが通じたかな。実はこの逆の立場を、私は経験済みなのだ。何れにしても、草刈り機なんて、お手の物のはずだから、町内会レベルで何とかならないものか。
この振内劇場では映画の他に松竹少女歌劇団を小学校5年生のとき、山下先生と一緒に行った記憶がある。席は中央の前から5番目位。もしかして、このとき、本田さんがいたかも知れないのだ。それは夏休みに、ソロバンの練習とかで彼女と一緒に山下先生宅で特訓をしたのである。残念な事にどちらも他界しているので、確認のしようもないが。
昭和30年代は当然こんな風ではなく、綺麗なお姉さんが踊るラインダンスが刺激的であった。このあと、テレビの「光子の窓」へと向かう。

吊り橋があった場所はここだ

この吊り橋は私の記憶にない。妹は籠やナイフを持って、恐らく友達や近所のお姉さんと一緒に、ミツバ採りに行ったという。札幌に住んでいる妹のある同級生は豊糠方面に遠足に行ったとき、吊り橋を渡ったと言うが、その場所を特定できずにいた。その事を岩知志出身の民宿「沙流川」のマスターに話すと地図を書いてくれた。それによると、日高方面に車を走らせたとき、「小山建設機械」で、右折するのがキーポイントだと分かった。
この位置で少し考えたが、豊糠方面に行くには橋を渡ったら右だ。その辺りはオタルマップと言う地域だそうで、「小樽」とよく間違えられるとも話していた。 アイヌ語でオタルは砂路、マップは「水が極む場所」と言う意味かも知れない。なお、ウトナイ湖に流入する河川として「オタルマップ川」と言うのがある。
これをGoogleマップで調べると、道が途中で終わっている。そこで航空写真に切り替えると全貌が解明できた。それにしても、こんな所まで、良く歩いて来たもんだ。文字通り「遠足」である。クリックで広域拡大画像 もう一つの吊り橋は幌毛志辺りにあったと言うが、森一歩著「コロポックリの橋」に出てくるのは渡し舟である。象太郎が振内の診療所に妹の往診を頼みに雨風の中、沙流川を渡ろうとして転覆、それを見たコポと言う名前のアイヌ犬が象太郎を助けようとして川に飛び込んだが、濁流に呑み込まれ死んでしまった。一方、象太郎は奇跡的に助かった。この事件が村会を動かし、早急に橋が架けられた。この児童小説は事実に基づいていると言うので、本当にあったことなのだろう。
一方、幌毛志の吊り橋は「郷土史ふれない」の資料を調べて行くと、ここにあったようだ。ここだと、振内で聞いた話しと一致する。

幌尻岳の撮影

振内中学校校歌は「ホロシリの山嶺白く 野鳥飛ぶ原始の森に・・・」から始まる。振内に住んでいたころ、いつも見ていたのだろうが、「幌尻岳」の写真は1枚もない。そこで、「芽生すずらん群生地」に行く途中、「バリアフリーな くまさん荘」あたりで撮影しようと思っていた。途中、「いろは坂みたい」だと話しながら、車を走らせたが、なかなか行き着かない。段々、不安になって来たが、やがて人家が見えて一安心。最初「とよぬか山荘」まで行ったが、引き返して「くまさん荘」方面への途中、一時停車して「幌尻岳」を何枚か撮った。この怪しげな雲だと、これは雨になると思っていたら、案の上、そうなった。 最初、この貸別荘に泊ろうとしたが、あの峠を夜走るのは怖いし、部屋が分かれていないので、「沙流川」にして良かった。ここへ行った目的のひとつはホワイトアスパラを買うこと。ところが今年はないと言われてがっかり。3年待てとのこと。くまさん荘のこのアスパラ物語(豊糠の四季)を見て行ったのだが…。 バリアフリーな くまさん荘
とよぬか山荘

芽生すずらん群生地

芽生のすずらん群生地は約15haと日本一の広さだ。目指したのは「平取町ホームページでの写真」。小雨の中、傘をさして、観賞用道路とやらを1周15分をかけて回ったが、撮影に値する場所はなかった。これでは来た価値がない。 この程度でのすずらんはどこでも撮れるが、紛れもなく芽生のすずらんと言う証拠の為に載せた。一体、ホームページの写真はいつ、どこで撮ったものなのだろうか?、と言う疑問がわいた。今は位置情報を簡単に取れるので、「撮影スポットGPS」みたいなのを公開して欲しいものだ。そのサンプルでもないが、このページでは撮影や建物の位置情報を入れてみた。 札幌で、すずらんを撮影したのは「富丘西公園・滝野すずらん丘陵公園・さとらんど」の三カ所。何れも大したものを撮れなかったので、ここに期待したが空振りに終わった。

平取温泉「ゆから」

平取温泉「ゆから」は昨年の「みなみくん歩好会高齢者福祉バス利用ウオーキング」に引き続き2度目である。昨年は休憩室で持参の弁当を地元の高齢者グループと談笑しながら食べたが、ことしは勿論レストランでの昼食。昨夜は平取牛だったから、これはパス。あれこれ、悩んだが選んだのは「冷やし担々麺」。

ダイナミックな雲が出現

日高道を走っているとき、前方のフロントガラスを通して、魅力的な雲が現れた。雲は刻々と形や色をダイナミックに変えたので、その都度、シャッターを切った。それらの中で、1番好きな1枚を選んでみた。

振内からのお土産

振内で貰った品々の一部を並べて撮った。この他に青物の野菜がある。これで、振内に出発する前日に来週の分と思って、イオン藻岩店で買い物して来たから、冷蔵庫の野菜室はびっしりになった。

平取町産品で一杯

今夜(6/12)の酒のお供は、中辛の「びらとり和牛のカレー」、サラダ(振内のトマト・ミックス野菜・芳醇ゴーダクラッシュ・アマニ油マヨネーズ・黒酢沖縄もずく)、ホタテ昆布巻き、昆布出汁の白菜漬物、豆腐(超特選減塩醤油)、味噌汁(野菜たっぷり・玉葱の粉末入り・味噌の塩分は0.6g)と言うもの。
トマトはほぼ毎日食べているが、振内の食べ頃トマトは本当に美味しい。 毎日の夕食はここでメインとなる魚や肉が変わるくらいだ。ご飯は食べない。
日本酒はいろいろ(純米酒・吟醸酒・大吟醸酒)、ワインもいろいろ(カシス/ブルーベリー入り赤ワインがメイン)。さかずきは相馬時代に買った益子焼だからもう20年以上も使っている。

あとがき


振内に思いを馳せてPartⅡ

このページは「振内に思いを馳せてPartⅡ」の気持ちで書いた。今度は単に思い出話しではなく、50数年前の同級生が目の前にいた。公開を少しでも早めるため、振内に行く前にある程度、レイアウトやストーリーを考えておいたが、内容が多岐に渡るため、完成まで6日を要した。普通ならこの間、大きな買い物が入るのであるが、振内の人たちから貰った野菜が豊富なので、近くのツルハだけで済んだ。

今回の収穫

今回の振内訪問で第15回卒業写真への名入れが完成したのが一番の収穫であった。校正に協力してくれた、皆さんに感謝
それに用務員補と言う女性の漢字名も分かったし、吊り橋や振内劇場の場所も特定できた。更にこの度の切っ掛けとなった堀内さんとも会って、オーディオ談義をすることができた。何と中身の濃い一泊二日の旅であったことか。

人々の記憶

振内の人々が私に対しての記憶は「足が速い」と言うこと。これは電話でも「俺は小さかったから、いくらピッチを早くしても、かなわなかった」と言われたし、意外なことに民宿「沙流川」でも言われた。これは岩知志で開催された運動大会での私を思い出してくれたのである。このお陰で次回からの予約が特別扱いになった。

当時の生徒にとって、速いか、遅いかは一大事だったようだ。100m徒競走はその場で、勝ち負けがはっきり決まる。ここで負けたのはとても悔しいことなので、記憶に留めていた。そして、振内を離れ、故郷での友を思うとき、呼び起こしていたので、ずっと忘れ去ることが出来ずにいた。

私がこうして、振内の事を良く覚えているのはどこにいても、振内の事を思い出していたに他ならない。その思いは人それぞれであろうと思う。 その流れで書くと、当時1番速かったのはピッチャーで4番のM君。私の場合、大抵は2番。いつも悔しい思いをしていたが、中学校運動会の200mでようやく1番でテープを切ったときは本当に嬉しかった。つまり、私も同じだった。勝った相手の事は覚えていないが、負けた相手はずっと覚えている。このことは脳がおかしくならない限り一生続く。

やんちゃ坊主の記憶

4月から電話や、実際に会って話してもみると、覚えているのは大体次のようなことであるが、差し障りのないよう直接的な表現は避けた。
登別第一滝本館で起きたこと(小学校の修学旅行)
十和田湖の宿屋で目撃した他校の振る舞い(中学校の修学旅行)
・皆が廊下に立たされた時、起きたお漏らし事件
立岩からの飛び込みや対岸へ泳ぎ切ることの意味
ウルシの皮を剥いてお化けの顔になった(歴史散歩:源頼家・漆・北条時子)
・授業のとき二日酔の臭いと仁丹で閉口した
デンキババアめんこ
さて、次のような事を果たして皆はどれだけ覚えているだろうか。
※草刈り時のマムシ、振中グランドでの相撲巡業・サーカス・ヘリコプター、先生のビンタン、学芸会での劇タイトル、振内山でのスキー、スケート、振内橋での欄干のぼり 等々だが、当時の女生徒は何を思い出す?

次回の同窓会

次回の11月は平取温泉との事だったが、札幌方面から行く場合、車のない人はペガサスが停まる鵡川温泉四季の館あたりが行きやすい。幹事さん、検討してもらえないだろうか。(佐々君から送迎車などで対応との連あり、2017/6/18)

使用カメラ

今回、持って行ったデジカメはいま愛用中の一眼レフNIKON D40(ズームレンズは18mm~105mm)とコンパクトカメラFUJIFILM X70の2台。主にD40は風景、X70は室内で使用したが、11日朝、一時の晴れの中、散歩して良かった。これがなければ、インパクトのない写真で終わっていた。

スポンサードリンク

関西の貸別荘 すずめのおやど

京都近郊の貸別荘すすめのおやど

↑ トップ

 ホーム